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TARI TARIに足りなかったモノ

 TARI TARIを最後まで鑑賞した上で、何か消化不良に感じた人が指摘する点が幾つかあるようだ。
 結局、舞台装置の一つに過ぎなかった校長と理事長の存在。海外留学を決意した紗羽の唐突さ、田中の恋愛話、そもそもヤンって何のために居たのか?etc…

 それらの「状況証拠」を積み重ねると、どうもTARI TARIの物語自体が2クールを前提に組まれたボリュームなのではないか?という推論に突き当たる。
 2クールあれば、描写不足だった教頭の変節も、もっと丁寧に描けただろうし、今ひとつ盛り上がりに欠けた最終回での自主学園祭も、より感動的な展開に持って行けた。

 私はTARI TARIを「群像劇」と呼ぶことには抵抗がある。
 何故なら、主要人物とされているのに男子が話に関わる部分が少なすぎたからだ。田中の恋愛話にしても、刺身のツマ程度なら、特に入れる意味が無い。
 或いはウィーン。一応の当番回では見せ場を作ってもらったものの、ヤンという、如何にも話を膨らませられそうなキャラを、ほぼ使い捨てで済ましている。
 この男子の扱いからして、作者は群像劇を作りたかったけれど、尺の都合でできなかった物語なのではないか?と類推する。
 分量的に不可能な部分を、泣く泣く切った。しかし、作者の思い入れ的に、どうしても残したい部分は削れなかった。
 なので、中途半端な残滓だけが残ってしまった、と。
 脚本的には「推敲不足」と言うほか無い。

 TARI TARIが名作になり損ねたのは、その思い切りが作者に足りなかったからではないか?が、私の結論である。
 作者的な立場に立てば、思い入れのあるエピソードは切りたくないという気持ちは十分理解できるのだけれど、それはそれで別の機会に描けばいい、と割り切れるドライさも、また創作者には必要なのではないか、と思う。

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テーマ:TARI TARI - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2012/10/09(火) 09:50:40|
  2. アニメ考察
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